SF小説が好きな方は多いと思いますが、フランク・ハーバート作“デューン/砂の惑星”というSF小説は結構読み応えのある面白いSFだと思います。
映画化はラファエラ・デ・ラウレンティスが制作し、デイヴィッド・リンチが監督した映画“デューン/砂の惑星”主人公ポウルにはイケメン俳優カイル・マクラクランが扮しましたね。TVドラマ化もされました。
何故、今回の話がSF小説かと言いますと、当時読んでいるときに感銘を受けた文章があったからです。
“恐れてはいけない。恐怖は心を殺すもの。恐怖は全面的な忘却をもたらす小さな死。ぼくは自分の恐怖を直視しよう。それがぼくの上にも中にも通過してゆくことを許してやろう。そして通りすぎてしまったあと、ぼくは内なる目をまわして、そいつの通った跡を見るんだ。恐怖が去ってしまえば、そこにはなにもない。ぼくだけが残っていることになるんだ”
とてつもない死にいたる恐怖と対峙した時、主人公ポウルが心の中でつぶやいた言葉でした。
私たちも長い人生を歩んできますと、幾多の恐怖に遭遇した経験があったことだろうと思います。その恐怖に対して、何を恐れるか!恐怖に負けてなるものか!絶対に勝って見せるんだ!と力んだ経験があると思います。
しかし主人公ポウルはその恐怖を受け入れ通過させようとします。
“柳に風”
年齢を重ねてきますと各種会合等で、人前で話すことが増えてきます。その時逃げ出したい恐怖に襲われることが私でも稀にあります。若い時には恐怖を力でねじふせようとして、逆に頭の中が真っ白になり言葉が出ない状態が陥った経験がありました。
これは異性と対峙した時にも同じようなことが発生します。
2・3か月も交際したころ、お相手の女性が結婚の方向で話を進めて下さいと、カウンセラーに言っているのに、男性側がグズグズしてキスをしなかったり、プロポーズしなかったりしたために話が壊れるケースが間々あります。
男性側の心理を言えば、彼女にキスを求めて嫌われたらどうしよう、いやらしい人と蔑(さげす)まれたらどうしようかと恐怖を抱いてしまいます。
このとき、女性側からすれば、交際相手から生涯の夫に変化するか、ただの飯ともに降格するかの分岐点になる場面です。男性に対してハラハラドキドキする、もっともいいところなのです。このハラドキがない男性を即ち蔑称「飯ともクン」と呼びます。
この場面、男性諸君は恐怖に対して対峙するのではなく、自分は弱い人間であると認めること。恐怖は一時的なものです。怖いと思う心を認めてあげる、そうすれば恐怖が過ぎ去るのを待てばいいだけです。カッコつけずに聖人君主ではないただの弱い男(私のような!)であることを自覚するだけで、自然にキスを求めることができるのではないでしょうか。